木馬新聞

神戸のジャズ喫茶木馬の愛想も上々新聞です

歴史の街対決 / 佐渡裕

オーストリアの首都、ウイーンの街のシンボルはシュテファン大聖堂。そこから1ブロックしか離れてないところに、僕が年のうちに5ヶ月を過ごすアパートがある。
 この界隈は時間になるとたくさんの鐘の音が響き渡り、4月を迎え夏時間になると、冬の寒々とした空気から一転、気持ちの良い風の中、長い夕闇の時間と心地良い風が、軽やかな白ワインと共に最高に幸せな空間を演出してくれる…
 僕のアパートはウイーン会議を主宰したメッテルニッヒ侯の子孫が大家さん。名前は今もメッテルニッヒ。
 うちの向かいはモーツァルトがウイーンに引っ越して最初に住んだアパート。 1ブロック向こうは彼のオペラの代表作、フィガロの結婚を作曲したアパート。左に曲がればモーツァルトが死んだアパートだし、そもそもシュテファン大聖堂でモーツァルトは結婚し葬儀も行われた場所。
これがウイーン!
 僕は京都に生まれ育った。京都も負けてはいない! というのも実家は太秦に今もあり、京都の街中から広隆寺に続く道。聖徳太子の名前に由来する。それぐらいの知識しかなかったのだけど、僕の先生だった故レオナード.バーンスタインと食事をしていると、ある日のことユダヤ人の話になり、そういえば僕の卒業した小学校の校章がダビデの星だったと彼に伝えると、それは間違いなくユダヤと関係があると言い出した!
 いやいや我が両親の顔を見ても、実家の向かいのうどん屋さんのおじちゃんも八百屋さんのおばちゃんも、どう見てもユダヤ人とは関係ない、全くもって外人離れした顔。
 そんな話も、そのうちお互いすっかり忘れ、そしてその後、二度とその話をすることもなくバーンスタイン先生は亡くなった。だけど大発見が起こる。その話をしてから一年後のある日、ふと僕が司馬遼太郎さんの本を読んでいると、なんと「太秦ユダヤ人説」という項目が出てきたのだ!
 今の子なら、えーマジやばい!と言うに違いないけど、字数の関係もあり、この話の続きはまた次回かな?