木馬新聞

神戸のジャズ喫茶木馬の愛想も上々新聞です

北アルプス紀行 / 木馬店主

 垂直に近い岩場に鎖と鉄ハシゴ。最後のハシゴを登ると山頂だが、その手前の岩場で背中に括りつけたピッケルが岩に引っ掛った。弾みで保っていた三点支持のバランスが崩れ咄嗟に左手一本で全体重を支える、その瞬間自身の過去の全てが走馬灯のように駆け巡った。何とかもがきながら山頂に辿りついた。疲れ切った身体を持ち上げ、運が付いてたんだと祠のまえで手を合わせる。顔を上げるとブロッケン現象が遥か向こうの稜線に出現した。(光る輪の中に自身が映る)

「槍ヶ岳開山・新田次郎」の文中から
ー驚くべきものを見た
五色に彩られた虹の環が霧の壁の中に
五色の環の中心をなす赤色光は血のように鮮明
その環の中に人影、立影、座影にも見え
仏の姿にも見えた 阿弥陀如来の来迎ではないのか
ありがたいとは感じなかった おそろしく感じた
その美しいものが突然大きな禍を
投げかけてくるのではないかと感じ合掌した
播隆は気の狂ったように名号をとなえたー

今では単なる化学現象であるが、播隆上人の生きた江戸時代はこんな神秘を農民、信者は、御来如と信じたのだ。しかし我々がこの山の穂先に立てるのは上人の作った岩場の鎖と鉄ハシゴのお陰である。


 穂高連峰のすり鉢底にある唐沢カールは標高 2,400m、ここが秋になると紅葉が絨毯を敷いたみたいになる。此処と槍ヶ岳の麓にある槍沢の紅葉は絶景である。この地のように人工の手がいっさい入らない自然の風景を体感できるのも山行きの魅力のひとつ。
 およそ30年前の話、明け方に車を上高地に置いて上高地帝国ホテルで珈琲ブレイク、ゆったりできるのはこの時だけ、後はひたすら唐沢カールまで歩くだけ。
 河童橋はいつも旅人で混んでいて、駆け足の旅行者と山へ登る人がこの橋で交差する。それを横目に横尾へ、梓川に沿ったこの道はプロムナードでリュックの重さも苦にならない。梓川を横切ってからは30分に5分、1時間に10分の休憩を挟んで唐沢カールまで約3時間半の登り、急登が何箇所かあって両肩にリュックの重みが食い込んでくる。結局、自己ペースで4時間費やして、ようやくこの風景に。

写真:小西武志
木馬新聞/第1版/2019年4月
Jan 3, 2020
木馬新聞